時代に翻弄されながらもたくましく生き抜くヒバ
明治時代後期ごろには「秋田スギ」「木曽ヒノキ」とともに『日本三大美林』と称された「青森ヒバ」。ですが戦時中は軍事用として、戦後は復興のための木材としてその多くが切り出されました。
たとえば1943年には、630,000㎥ものヒバが伐採されています。しかしながら手入れもされていて、ヒバを切った跡には苗木が植えられていました。また別の場所から広葉樹が侵入してくるなど、森の面積そのものは変わらなかったようです。
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ヒバの森の「質」が変化したわけですが、それはなにも近代にはじまったことではなく、戦国時代には城を建てるための木材としてヒバが多く伐採されたといいます。江戸時代初期、そうした状況を憂いた弘前藩の藩主は森林資源の枯渇について注意を促しました。
江戸時代には「山奉行」を置いて森林を管理
そこで弘前藩は森の管理に力を入れます。ですがうまく統制が取れず、ヒバは藩の貴重な収入源として伐採され、江戸時代中期までは荒廃が進んだといいます。その後、弘前藩では寛政の改革として「山奉行」を2名置き、森林の管理や植林などを推進していきました。
藩政によってヒバをしっかり保護する一方で、地元の人たちには広葉樹の伐採を許可。これによって林業でいう「除伐効果」(じょばつこうか)が生まれ、美林といわれるまでの森に成長していったと考えられています。
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しかし明治になると藩政が終了。さらに明治政府による整備の遅れもあって全国的に乱伐などが進み、美林は少なくなっていきました。そして戦時中にも前述のような大規模な伐採がおこなわれたのです。
100年後にはヒバが生い茂る森を目指して
「かつての美林を取り戻したい」。東北森林管理局が2023年度からスタートさせたのが「青森ヒバ美林誘導プロジェクト」です。
ヒバは日陰に強い木といわれていますが、稚樹の生存率を上げてすくすく生長させるためには、陽当たりの改善は不可欠。そこで藩政時代に地元の人たちがおこなったように、日光不足の大きな原因となっている広葉樹を適度に伐採することでヒバの生長を助け、ほかの木よりも生長の遅いヒバを助けていく計画です。
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伐採の開始は2024年秋ごろを予定していて、切り出した広葉樹は家具の材料などとしながら、100年後には幹の太さ1.5メートル以上のヒバが生い茂る純林へと導きます。
ヒバ美林として整備するエリアは、アクセスしやすい場所を選定。ヒバにふれられる観光スポットとしても活用するとのことです。
東北森林管理局は「成果が出るには何十年もかかると見込まれるほか、仮説の誤りなどがあるかもしれませんが、試行錯誤を繰り返しながら息の長い森づくりに取り組むことこそが私たちの使命だと考えています」と意気込んでいます。
今後、このプロジェクトがどのような結果を生み出すのか、注目していきたいところです。
前回の記事「ヒバの森を守る2つのプロジェクト 【①青森ヒバ林復原プロジェクト】」はこちら